2017年2月13日月曜日

トッド・スキナーのプロジェクト

トッド・スキナーのプロジェクト。
http://www.climbing.com/people/the-unfinished-projects-of-todd-skinner/

Climbing誌のweb版を読んで、いろいろと考えちゃいました。

There is an unwritten rule in the climbing world; when someone is working on a project you don’t touch it until they’ve finished. Climbers respectfully stay off a route while the finder cleans it, studies it, and sometimes makes countless failed attempts to figure out how to make it go.

これは鈴木英貴さんのスティングレイの初登にまつわるエピソードを思い出させますね。また、日本にもこの慣習は存在するようで、しかもプロジェクト単位ではなく、公開前の開拓中のエリアには丸ごと手を出さないという暗黙のルールがあるようです。

さらに、場所によっては公開されてるのに初登禁止というエリアまであるそうで、少し前に話題になってましたね。

サルモネラ登攀日記:公開プロジェクトとは何なのか、
http://saruzaemon.exblog.jp/22715749/

他方で、豊田の岩場では誰のプロジェクトでも登るのは自由という伝統があるとの見解も示されています(本当にそうなのかは知りませんので、豊田で他人のプロジェクトを登って殴られても僕は責任を取りません。)。

豊田・大田の煌(KIRA)初登セッション & 豊田の岩場開拓の伝統
http://jiyujinclimbing.blog2.fc2.com/blog-entry-780.html

少なくともナチュラル・プロテクションのルートとボルダリングの課題に関しては、誰でも登っていいことにするのがいいと思うので、僕がやってる最中のクラックを誰かが登っても殴りません。自分で登りたいルートのありかは人には教えません、ケチなので。自力で探した人が登るのを妨げることはできません。どうしても自分で登りたいクラックを誰かが発見してしてしまった場合には、「ご勘弁を〜」と土下座して懇願します。それでも登られてしまったら、自分の弱さを悔いるのです。

もうひとつ考えたこと。

But what happens when a route’s original pioneer dies before its finished? 

これで思い起こされるのは、やはり吉田さんが残したルートや課題のことですね。とりわけデイドリームを誰が完成させるのかは、誰しも気になることでしょう。そのデイドリーム、1980年代半ばにはすでに「デイドリーム」と呼ばれていたようです。池田功さんがトライしていたという話も聞きました。吉田さんがデイドリームへの挑戦を始めたのは、コブラクラックへの挑戦から帰ってきた後、2007年頃のことのようです。池田さんはもちろんdieしてませんが、このクラックは「オープン」だったのか、それとも了承を得たのでしょうか。もうクライミングはやめてしまっていたから、その必要もなかったのかもしれませんが。

記事の中で紹介されているプロジェクトのひとつ、Strawberry Roan。



このルート一本を見ただけで、トッド・スキナーがいかにvisionaryであったかを想像することができます。

それから、アレックス・ホノルドが登り、A Gift from Wyomingと名付けたプロジェクト。
https://vimeo.com/groups/gryftrek/videos/62627696
https://vimeo.com/channels/500578/62628710

visionを持ってクライミングに取り組みたいものです。

1 件のコメント:

  1. デイドリームについてはマーズ完成後すぐに、数度トライしたという話は本人から聞きました。その頃からオープンPだったかどうか定かではありません。この辺はN氏率いるタワシか地元昇仙峡開拓団の方々が知っているのかも。当のデイドリームについては、マーズ完登後の当時でさえ、まったく歯が立たずボルダー力の必要性を痛感したということも言ってたように思います。そこからしばらく間を置き、2007年ごろから再度トライとなったようです。

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