ちょっと前のこと、兜山で前に掃除した岩を登った。
大手門3Fの富士見カンテの左のスラブの左寄りのクラックライン。クラックは閉じたり開いたりで、ところどころ開いたところにプロテクションをセットする。
村田さんが第2登。5.10bくらいじゃないかって話。
初見だとちょっと悩むので、オンサイトトライにおすすめ。
ちょっと前のこと、兜山で前に掃除した岩を登った。
大手門3Fの富士見カンテの左のスラブの左寄りのクラックライン。クラックは閉じたり開いたりで、ところどころ開いたところにプロテクションをセットする。
村田さんが第2登。5.10bくらいじゃないかって話。
初見だとちょっと悩むので、オンサイトトライにおすすめ。
奥平さんとセンチュリーバレー。
アメジストはどのみち何度もできないから、ゆっくりアップしていこうということで、まずは前回ボルトを発見した鏡餅スラブに向かった。作戦は、まずは僕がロープを結んで下部のブッシュ帯を抜けて、実質的なクライミングのスタート地点と見えるポイントでビレー、奥平さんがフォローし、そのまま上部をリード。で、奥平さんが向かったそのスラブ。スタート後に怪しげなカムをセットしつつ、一本目のボルトの下までロープを伸ばしてくれた。ボルトには手が届かずギブアップ。で、リードを交代した僕が長いリーチをぎりぎりまで活かして一本目のボルトにクリップし、厳しいムーブで鏡餅の一段上にずり上がって、そこでギブアップ。本題のアメジストに向かうことにした。この時点で既にお昼ちかく。
本題のアメジストライトは5日目。この日の目標はプロテクションの確認と、上部核心下でのレスト体制の確認。プロテクションは決まった(たぶん)。上部核心下でのレストはよくわからなかった。僕の細い指はハンギングブロック右のクラックから吐き出されるので、力みが生まれる。足と手のコンビネーションも悪い。2回やって、また今度。ずいぶん暖かくなってきたので、アメジストは午後から岩が影に入った頃がちょうどいいかもしれない。
最後は帰り際にジョーズ・レフトを登った。FA。下部はランニングジャンプ。スラブをジリジリ登ってランジしてもいいけど、走ったほうが手っ取り早い。2回目のランニングでガバを捉えて、そのまま完登した。プロテクションは、ガバのすぐ上にMCオレンジ、上の段にMC黄色が入った。最上部でマントルに備えてMC赤を入れたけど、あれは抜ける。アメジストに残して来ちゃってたから手元になかったけど、紫とか青とかもあったら使えるかも。グレードは多分E3 5bくらい。
残るはジョーズ・ライト。これからの暖かい日は、午前中にジョーズ・ライトのムーブ探りでアップして、午後からアメジストに行くのでもいいかもしれない。
のぼるきょじんとアメジストライト。
風速10mの北風だったけど、センチュリーバレーは風が通りにくい。アメジストは風向き次第で時々。日当たり良好でおおむね暖かく登れた。
アメジストはたぶん4日目。今回は2回。ムーブとプロテクションはだいぶかたまってきた。中間部、単純化のため、左手のジャムとカチと、右手のガストン、ずっとその組み合わせ。上部は前回までの想定通り。2回目は背中がヨレていてトップアウトを断念。ラペルで回収した。
その後は、一段下に降りて、ジョーズ・センターPを登った。登攀ラインは、右から入って、クラックに沿って左上して、カンテ左を登る。
たぶんE1 5aくらい。やさしいけど少々ランナウト。
最後は後ろの隙間を登ってフィニッシュ。チキンウィングの結構楽しい課題だった。
富士見カンテの左の様子をみてから前に山森さん&草野さんといったエリアで登れなかったボルダーを登ってやろうということで、兜山に向かった。
毎度のことながら道に迷いながら富士見カンテに着いたら、富士見カンテの裏カンテの他に、その左のスラブクラックが気になった。上部に回ってフィックスを張って様子を見ると、結構面白そう。ということで掃除してみた。難易度はたぶん富士見カンテと同じくらい。富士見カンテよりも実質的なクライミング部分が長いのが良い。プロテクションは一箇所怪しいけど、あとは多分大丈夫。
あらかた掃除できたので、近々やりたい。
それから、裏カンテ。離陸して一手出すことに成功した。1級くらいのボルダームーブで下部は突破できるんじゃないかと思う。その後にプロテクションをセットできるかどうかがわからない。あと、ボルダームーブで落ちたら崖の下まで行きそう。
雨予報が不安定で早々に切り上げ。ボルダーまではたどり着かなかった。また今度。
センチュリーバレーへ。
まずは、道路から見上げて誰しもが気になっている岩へ。メゴスの真上の鏡餅状のスラブ。岩の上に歩いて回ってフィックスを張ってラペルで降りてみると、なんとボルトが残されていてたまげた。おそらく40年ほど前の古びたRCCボルト。このエリアがその時期に登られていたという情報には触れたことがなかった。
岩は硬く締まっていた。フリクションスラブとマントリングを繰り返すクライミングになりそう。薄いダイクを頼りにするクライミングが悩ましいに違いない。最終局面で傾斜が落ちた頃に出てくる顕著なダイクがここまでたどり着いたクライマーを迎えてくれる。全長は25mくらいだろうか。ボルトが生きているかは怪しいけど、現代の技術に頼ればバックアップを用意することは可能。近々登りに行きたい。
スラブの次は、その裏のワイドクラック。こちらはすごく短いうえに苔で汚れている。しかし、ホールドがないので典型的なスクイズチムニーのムーブになるので、面白いと言えなくもない。もっと下にあれば、センチュリーかアメジストの帰りに10回登って筋トレっていう使い方ができるけど、それにはちょっと離れている。取り付きまでの泥登りも厄介。一度上からアプローチしてフィックスを張ったほうがいいかもしれない。
最後はジョーズ岩まで上がって、ジョーズライトP。ムーブができるかどうかの瀬戸際で、プロテクションがセットできるかどうかの瀬戸際で、ホールドがもげるかどうかの瀬戸際。左手のまるっこいカチホールドが取れたら登れなくなりそう。プロテクションが怪しいので十分リハーサルしたいけど、やりすぎるとホールドが取れる、っていうジレンマ。手前に引くとあっという間に取れると思うので、なるべく下向きに優しく引きたい。最下部のオープンブックを抜けられるかは不明。
これで、アメジストと並行してやるルートが5本になった。少しずつ進めていきたい。
奥平さんと昇仙峡。(たぶん)未登のワイドクラックを登った。
場所は、センチュリーバレー。センチュリー・フォー・カラーズのアプローチから分かれてアメジストを目指して沢を渡り、アメジスト直下で(今は)明瞭な踏み跡を右に分かれる。踏み跡はすぐに落ち葉で埋もれてしまうと思うけど、小さなボルダーが目印。しばらくトラバースして、アメジストの右のルンゼのさらに右の落ち葉ルンゼを上がる。クラックは、両ルンゼの間の巨大なスラブの右側面のハング帯にある。ルンゼの上部は落ち葉ルンゼから倒木ルンゼに変わる。クラックは右側面ハング帯の裏面にあるので、倒木ルンゼを最終局面まで上り詰めないと見えてこない。
昇仙峡には今、岩を破砕するダイナマイトの大音量が轟いている。かつて「くさび」問題が起こったこの地で、岩がダイナマイトで破壊されている。ダイナマイトが良くて、わずか10mmあまりの穴がだめという理があるだろうか?
ダイナマイトの轟音と、雷光を思わせる岩の割れっぷりとで、渓谷に嵐が来たかのようだ。ということで、Electrical Stormとする。
奥平さんとアメジストライト。
2日目も1回だけ。前回は特に考えずに通過した下部で躓いた。久しぶりのフィンガージャム。順手のフィンガーで小指に結晶が突き刺さって、痛くて無理だった。
中間部、前回あやふやだったところを確認した。右△ピンチ→左カチ→右ガストン→左足を高く上げて左フィンガー(あれ?シンハンドだっけ?)→右シンハンド→左足を高く上げて左シンハンドみたいなかんじ。やっぱりあやふや。
上部はよくわからない。また今度。
あとは周辺散策。
清水俊史『ブッダという男−初期仏典を読みとく』(筑摩書房、2023年)
色んな意味で話題のこの本を読んだ。前半は現代の我々の願望をブッダに投影してはいけないという話がとても面白くて、後半はバラモン教や他の沙門宗教との違いが説明されとても面白い。
「業法輪廻の苦しみを終わらせるために、インドの諸宗教はそれぞれ独自の思索を重ねた。そのなかでブッダは、原因と結果の連鎖によって個体存在が過去から未来へと輪廻していること、そして輪廻が起こる根本原因が煩悩であることを突き止めた。」(188-189)
「輪廻の苦しみを終わらせるためにには、無知(無明)をはじめとする煩悩を断じなければならないとの主張は、他宗教には見られない。つまり、縁起の逆観こそが、インド史上におけるブッダの創見であると評価できる。」(189)
ブッダは「突き止め」、他の宗教の宇宙観とは異なる仏教の宇宙観を築き上げた。それはわかった。
わからないのは、なぜ他の宗教ではなく仏教の宇宙観が当時のインドで受け入れられたのか。他の宗教の宇宙観も仏教の宇宙観も証明は不可能なのだから、それ自体の説得力の差はないように思える。もしかしたら、この見方がもう現代的な見方で、当時のインドの人たちにとっては説得力に違いがあったのかもしれないが。でもないような気がする。で、もしそれぞれの宇宙観のコンテンツ自体に説得力の差がないのだとしたら、なぜ仏教の宇宙観が受け入れられたのか。すぐに思いつくのは、ブッダが言ったからというものだろう。コンテンツではなくて、それを言った人に説得力があったということ。たとえば、ブッダの実践に説得力があったとか、弁がたったとか、ものすごいイケメンだったとか。
クライミング観は、コンテンツと同じくらい、そのクライマーによる実践が大事、なんてことはあるだろうか?先日のボルダリングでくさのさんと話したんだけど、岩のクリーニングをするときには、このフレークが剥がれると登れなくなるなとか、このフレークがここで割れたら良いホールドになるなとか、こっち向きに割れたら悪過ぎて登れないかもとか、そういうことを考える。そういうことを考えると、無意識にでも自分の都合の良いようにクリーニングをしてしまいかねない。そうすると、岩に自分を合わせるのではなく自分に岩を合わせることになる。そもそもそんなことを考えながらクライミングをしたくない。というわけで、脆いところもそのままに触れないように登ってしまう、極端な話をすると苔も落とさない、という実践をしているのがくさのさんで、そこには独特の説得力がある。が、僕には無理。
ちょっとまえに、発見したクラックを掃除しに行った。このクラックは前傾ワイドで、クラックの中にはチョックストーンが詰まっている。不安定なチョックストーンは危険だから登る前に除去したいんだけど、そのときにも、このチョックは登るのに邪魔だからどけてしまおうとか、これはホールドになるしこれをどけるともう登れなくなるんじゃないかとか、そういうことをどうしても考えてしまう。それがいや。だったら掃除せずにそのまま登ってしまえばいいじゃないかという話なんだけど、不安定なチョックストーンは危険。でも、危険という言い訳を盾に岩を自分に合わせるのもいや。だけどそのまま登る実力はない。という終わりのない問い。