《バイシクル・ダイク》に挑んでみようと、屋根岩1峰方面へ向かい、まずはアップで《ビレニイ・プリズン》。いろいろあって、下部ボルト2本分を2回やっただけで終了。思うように登れず、集中力を欠いていました。
落石の認識まで
- 《バイシクル・ダイク》の取り付きにメインのザックを置いて、必要なクライミング道具と水だけを持って、《ビレニイ・プリズン》でクライミング。
- 最後に、松氏が懸垂でヌンチャクを回収した後、ロープを落として、ロープをまとめている時に、バチンという音がして、手が弾き飛ばされる。
- 手の甲が切れて血が見えた。落石を受けたと認識。17時半ごろか。
その後の対応から下山まで
- 止血が必要と判断。松氏がテープを取りに行く間に、血がたくさんで滲み出てきて、傷をちょっと開いて中を見たら、白いスジが見えた。
- 松氏がテープを持ってきてくれる。テープが汚れていたので、間に自分のハンド・タオルを挟んで、テープでぐるぐる巻き。
- 止血が完了し、荷物をまとめる松氏を置いて、先に下山開始。《バイシクル・ダイク》の取り付きに置いたメインのザックと荷物は置きっぱなしで、駐車場まで。荷物は松氏が回収してくれた。
駐車場から病院まで
- 駐車場で、近くの山梨で病院に行くのがいいか、東京に帰って病院に行くのがいいかと悩んで、まずは山梨県の救急医療情報センター(?)に電話。須玉と大月の病院を紹介される。それぞれ電話し、須玉の病院は忙しいと断られ、大月の病院は整形外科のある病院へ行けと断られる。
- 東京の救急相談センターに電話。東京にきてから電話しろと言われる。
- 渋滞を乗り越えて帰宅。再度、救急相談センターに電話し、3つの病院を紹介され、昭島の病院へ。
病院にて
- 最初の診察の後、1時間以上の待ち時間。
- 洗ったり、ピンセットでほじくったり、指を動かしてみたり、ガーゼを穴の中に突っ込んだり。超痛かった。
- 「骨は大丈夫だね。腱ははどうかなー?まあ伸筋腱は丈夫だから多分大丈夫でしょ」ってことで、2針縫って終わり。25時頃。
まとめ
- 当たったのが手の甲で、頭とかじゃなくてラッキーだった。ちなみに、ヘルメットはかぶってました。
- すぐに止血できたことが良かった。松氏がテープを持っていたのがラッキーだった。僕のはというと、普段はカムの袋に入れていたテープが、スリング等ギアの袋に入っていた。なんとなしに《ビレニイ・プリズン》まで持ってきていたハンド・タオルがあったのがラッキーだった。救急セットとして常に持ち歩かないといけませんね。
- 万一のことを考えると、一人で下山はしない方が良かったのかもしれない。
- 病院の選択は難しいです。病院のキャパシティを考えると、血が止まってれば東京まで帰ってしまうのがいいのかもしれない。より逼迫してたら、長野方面も考えたほうがいいのか?
人の入らないエリアではいつも以上に慎重にならないといけませんね。勉強になりました。
○《ビレニイ・プリズン》
RCCボルト4本のなかなか良さそうなスラブでした。100岩場の地図は非常にわかりづらく、《バイシクル・ダイク》から右に歩いた方が早いです。それか、東屋を通り越して、ピナクルの手前の踏み跡を右に入る。100岩の地図では、岩の西側にルートがあるかのように見えますが、東側です。
2本目のボルトの上まではムーブはわかりました。とても面白いです。下部はちょっとじゃりじゃりしてますけど。2本目のボルトは位置がいまいち?左に離れている。上部は松氏が一度やって、絶対無理と言ってました。しかし、スラブで松氏が言う「無理」は信用できません。機会があればまた行きたいですね。
追記
クライミングジャーナル30号に、高橋建雄さんがビレニイ・プリズンを登っている写真が掲載されていました。
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