2015年12月14日月曜日

《デルパワーX》&《穴》RP@障子岩

雨予報の中、久々の奥多摩クライミング、いつものパートナー松氏と。奥多摩に戻ってきました。いつもの障子岩へ。

前回、1人でムーブを探って面白さに気づいた《デルパワーX》(5.11a)、ムーブ確認&掃除の後にRP。9月から3ヶ月経ち、掃除したはずのホールドにも粉が乗っていました。ストレニアスで充実します。とても良いルート。

続いて、左となりの《穴》(5.11a)。《デルパワーX》と終了点は共通で、Trで掃除&ムーブ探りを行いました。この岩場は掃除が必須なので、下から攻めるのは難しいのですが、結果的には《穴》はほとんど掃除は必要ありませんでした。ただ、1本目のボルトが高くて、その付近のホールドとムーブがわかりにくいので、僕の実力では下から登るのは難しかったでしょう。ムーブ確認後、RP。《デルパワーX》と比べると休める場所がありますが、ガバとガバの間のムーブが個性的で、楽しめました。とても良いルート。

《穴》は、初登時の記録によると、3本目のボルトの上の穴を使うムーブが核心とされています。ところが、その後、穴を使わないより楽なムーブが発見され、グレードダウン。5.11aに落ち着いています。穴を使わない《穴》。

木曜日の大雨の影響で他に登れるルートは少なく、雨も少々強まってきたので、3時前には撤収。岩見学へ向かいました。

大きな岩はあるけれど、すっきりしたルートが引けるものは少なく、フィンガークラックが1本、ハンドクラックが2本できそうなくらい。

○障子岩のシーズン

障子岩は、1982年に八王子山の会によって開拓され、その後ほとんど放置されていたものを、1987年1月から3月の間に土方敏彦さんらによってチーム多摩自慢が結成され再開拓されました。開拓当初は南西面が注目されていたようで、発表されたルートも南西面に集中しています。クライミングジャーナル誌には、「南面は日当たりは良いがルートは少なくまた短いので、エリアとしては西面に方が充実している」とあります。なお、この「西面」は今の南西面と南面を合わせた部分で、「南面」は今は南東面と呼ばれているところです。

1982年の開拓と1987年の再開拓と、二度の開拓がなされているため、ルートの初登時期は判然としません。以下で紹介する1987年の発表では、再開拓時のルート完成の経緯、日時、作成者の名前が紹介されていますが、同時に、ルートの半数は1982年に八王子山の会によって登られているとも書かれています。岩と雪154号の小林敏さんによるトポはそのあたりの事情も反映させたものになっており、《デルパワーX》も《穴》も、1987年のルート完成者とともに、1982年八王子山の会のクレジットも付されています。

《デルパワーX》は、1987年1月18日に土方敏彦さん(当時25歳)がボルトを打ち、柘植求さん(当時18歳)がマスタースタイルで完成させています。発表時のグレードは、5.11-。

《穴》は、1月25日に石山良一さん(当時26歳)がボルトを打ち、柘植さんがマスタースタイルで完成させました。2月1日には、福田そういちろうさん(当時20歳)がフラッシュに成功しています。発表時のグレードは、5.11。3本目のボルトの上のフェース面の中央に、持てそうな持てなさそうな浅いポケットがあり、ここが核心部とされています。ところが、岩と雪154号の小林敏さんによるトポでは、「3本目のボルト上のポケット・ホールドを使って登るとグレード・アップし、その方が面白い」とされ、グレードは5.11-になっています。初登後にポケットを使わないムーブで登られ、グレードは現在の5.11aに落ち着いているようです。100岩場では、初登者は石山良一さんの名前が書かれているのみで、これは誤植でしょうか?

1月から3月というと、障子岩南西面が最も冷える時期。一度雪が降ると、春まで薄い氷に覆われます。この年は暖かかったのでしょか?

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